1月もあとわずか。サムガクの前期もあとわずか。
それでは今日も元気にいってみましょう!
今日の午前中は平形授業。
「くさらず生きる」
腐りそうになった時、腐ってしまった時、多くの他人や多くの書物などから色々な考えや意見に触れることが重要です。
そこで今日は「超訳ニーチェの言葉」を題材に授業が展開されました。
今日授業で出されたニーチェの言葉をいくつか紹介します。
「自分を遠くから見てみる」
おおかたの人間は自分に甘く、他人に厳しい。それは自分を近くで見て他人を遠くで見ているからだ。その距離感を逆にして、他人を近くに自分を遠くに見ることで、他人は避難する存在でなくなるし、自分はそれほど甘やかす存在ではなくなる。
「いつも機嫌よく生きるコツ」
人の助けになったり、誰かの役に立つこと。それで自分の存在の意味が実感されて、純粋な喜びになる。
「注目されたいのに注目されない理由」
ある人はおしゃべりや服装、人脈や孤独などで注目されようとするが、それらの計算は透けて見えているし間違っている。自分こそが注目される役者で他者は観客だと思っているが、それは観客のいない舞台に立っているようなものだ。
「軽やかな心を持つ」
創造的なことやいつもの仕事でも、軽やかな心を持っていると上手くいく。それは、のびのびとしていて自由な心。生まれつきのこの心を萎縮させずに保つことが望ましいが、そんな心を持っていない場合は多くの知識や芸術に触れることで、徐々に軽やかさを持つようになる。
「好奇心に振り回されない」
色々な事柄にいちいち首を突っ込んでいると、自分が空っぽになる。人生は全てを達成する程長くないのだから、若いうちに自分が打ち込むものを見極め専門性を持った方が人生は充実する。
「切れ者でありながら鈍くさくあれ」
シャープでスマートな部分だけでなく鈍くさいところも必要だ。それで愛嬌が生まれ人に好かれるようになるし、誰かが手伝ってくれたり、味方になってくれたりする。ただの切れ者よりずっと得をする。
などなど「確かになぁ」という言葉の数々でした。これまでの確認になったり、これからの行動のコツになったりしそうですね。
明日もニーチェの言葉続きます!
そして午後は久保田元副理事長の授業。
初の試み、ミライフにて寺子屋スタイル。
前回鑑賞した「わが青春に悔なし」の振り返りから。
スパイを生んだ家として村から嫌がらせを受けていた場面、
戦争が終わって多くの人が手のひら返しをする場面、
嫌がらせで田んぼを荒らされ、それに立ち向かうシーン、
主人公が留置所で拷問にあってもかたくなに拒否するシーン、
などの場面が印象に残ったようです。
それを基に「日本学術会議の任命拒否問題」について考えました。
学問の自由に釘を刺されると、(一方の考え方の学者ばかりになると)国民世論が偏るのではないか。
専門的な情報が多く手に入る事は必要なことではないか。
自由に発言が出来る空気を持っていることが重要。
色々な考え方を発信できることが必要。
などなどの意見が出ました。
久保田先生の授業は9月の学期スタートから一貫して「深く考える」をテーマに授業が展開されています。
深く考え、周りとの繋がりを見る。本当に大切なことです。
ということで、今日のサムガクでした。
ではまた。