理事長コラムPRESIDENT COLUMN

2019年2月8日

第九弾 人生の節目を考える~毎日がスタートラインなワケ~

教員というよりは

「学校」という場所を「仕事場」に選んだ理由は一つ。

 

「節目」が存在するからです。

 

我々人間は

本来節目などない人生をスタートさせます。

 

まあ

地球の自転と公転に合わせて

一年や一日を定め

それをさらに細分化して

何時間何分何秒なんて言っていますが

そもそも

そんな定額的尺度で我々の人生など見ることはできないですよね。

 

いつ生まれたのかも

後々知るわけだし

もちろんこの人生がいつ終わるのかなんて誰もわからない。

 

それでも人間は不自由なく生きて

遺伝子をつないできた歴史があり

どう考えてもそっちの方が「長い」と思うんです。

 

人間が節目をどうとらえていて

どれだけ必要なのかを考え始めると

哲学的クレパスに落ちていきそうなので

あえて踏み込むつもりはありませんが

なんとなく

節目があって

人は「育つ」のではないかと思うんですね。

 

日が落ちて

今日の終わりを感じ

明日を想像する。

 

当たり前なように思えて

実はとても奇跡的なものなんだって

某は思っています。

 

死んだことはないので(心が死んだことを除いて)

死というものがどういうものなのか

想像の域を超えないのだけれど

多分。こんな感じなんだろうと思っています。

 

昨日。眠りにつく瞬間を誰も記憶していなですよね?

「ああ。落ちそう…」なんてことは

あっても

翌日は絶対に記憶にないはず。

寝つきの悪い人はそうでないかもしれませんが

睡眠に導入するときに味わう

何とも言えない「快感」というか「心地よさ」というか。

とにかく

排他的な感情はそこにはないんじゃないかと。

 

眠りたいのに眠れないのは

それはそれは(某も経験があるが)苦しい。

つまり

「起きている時間は苦痛に近い」のかもしれないってことです。

 

苦痛をどう捉えるのかは

めんどくさそうなので横に置くとして

細胞が能動的に動いているときは

少なからず

しんどいものなのだと。

生命が維持されるには

つまり「苦痛」が必要になってくるんじゃないかと。

 

 

人間は大抵嫌がりますが。某も嫌ですけど

「苦しい」=「生きている」ってことなんじゃないですかね。

 

目覚め動くための機能を止めることが出来る(そうはいっても動いているんだけど)

その瞬間に

ようやく「苦」の反対が生まれるんじゃないかと。

そんでもって

記憶がなくなる。

というか「記憶」という機能を

働かせる必要がなくなる瞬間に

人は「快」を得るのではないかと思うのです。

 

重ねて多分を繰り返しますが

死とはあんな感じなんじゃないかと思うんですよ。

 

目覚めたからゆえの「昨日」であって

万が一

導眠から睡眠へ移行し

そのまま覚醒することがなかったら。

 

間違いなく人は「人生」を終えることになる。

 

苦しいとか

辛いとか

悲しいとか

自分の人生はどうだったとか

 

そんなこと

頭の中で出てくるはずがないと思うのですよ。

 

しかし

これは人間にとって

潜在的に抱いている「コア」であり

死に向かっていることを

様々な経験をすることで「気づかないように」しているだけなんじゃないかと

小学校1年生の時に非常に悩んだわけです。

写生大会でニワトリをよく観察してきなさいって言われて

ニワトリの「足」だけ画用紙いっぱいに書いてた頃です。

大人はかなり心配しますね。ええ。

現代においては

 

「心に問題があるんじゃ…」なんて言われそうですね。

問題はてんこ盛りであったことは否定しませんが。

 

両親に相談できるはずもなく

近所の同級生のお母さんに

質問したことをいまだによく覚えています。

 

そんでもって

そんなことを考えている小学一年生を

心配したのか

そのお母さんがうちの母親に電話して

 

母親から

「お前大丈夫?頭でも打った?」

なんて言われる始末で。

 

何を言いたいかというと

その恐怖から回避するために

人間が作ったであろう「節目」というか

定額的価値を

自分の頭の中にも叩き込んだというか。

 

いつまでにこれを。

これぐらいやる。

 

シンプルですが

これを毎日繰り返しているのが

ナガオカという人間だったりします。

 

限られた期間で

子どもたちにできるだけの

知識と知恵を渡すことが

仕事である「教師」という職業を選んだのも

そして

教師を辞めてもなお

節目だらけの「学校」という場所を新たに作ったのも

 

「生きていくために必要」

 

だったからに他なりません。

 

目覚めたとき。

新しい人生がスタートします。

目覚めたとき。

体が動けば

そこから次の場所へ体を動かすことが出来ます。

そんな単純なことが

本当に素晴らしいと感じることが出来て

 

生きてるだけで丸儲けだな

 

って思えるのは

胡散臭い自己肯定感や自己啓発的思想から生まれたんじゃなくて

 

明日なんて

今日みたいにハッピーなはずがない。

だから今日を

人生最高の日にする必要があんじゃね?

 

なんてことを

考えているものですから

物事を始めるときも

何の躊躇もないわけです。

 

そして

残念ながら

選べるはずもない

人生の終わりを

自ら選んでしまっている

選ぼうとしている人々に

 

そうではない選択をしてもらう瞬間に

立ち会うために

某は「仕事」しているつもりです。

 

難しいことなんてないんです。

 

誰かと比べるから苦しい。

誰かとの差を感じようとするから悲しい。

 

ないない。差や違いなんてないない。

節目で言うとみんな平等です。

人は生まれた以上。必ず死んでしまうものですから。

生まれることと死ぬことは

分からないし選べない。

 

しかし

その真ん中の

いつまで続くかわからないけど

明日が来る可能性が高い

「生きる」は

いかようにも選べることが出来る。

 

楽しいですな。

選択が無数になることって。

 

そのために

毎日を節目に生きていたいものです。

 

だから

毎日がスタートライン

なわけです。

 

今日は人生で一番若い日。

ピッチピッチなわけですからね。

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