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諦めの闇

可能性がある限り

諦める理由は
探す必要などない

不肖ナガオカです

★★★

某のチビ。

まあ193センチあるんで
チビではありませんが

一生
某にとっては
チビはチビなわけです。

チビのジェネレーションは
卒業式も
例年通りじゃないし
入学式もありませんでした。

この世代に
我々大人たちは
何をしてあげられたんでしょうか。

子どもたちは
大人たちの背中を見て育ち
そして
大人たちの言葉を信じて
人生を歩みます。

しかし
今回のコロコロの侵略によって
我々大人たちは
その子どもたちに

希望を抱ける何かをしてきたんでしょうか?

ただただ不安を露呈し
不安を解消するために
誰かのせいにして
誰かを攻撃することで
なんとなく
そのストレスを発散しているんじゃ
ないでしょうか。

マスコミの報道は
かなり偏りがあるというか

不安を煽るようなものを
毎日垂れ流しているだけのように見えるし

SNSをはじめとする
個人の情報発信は
さらに偏りっぱなしで

何が正しくて
何が間違いなのかが
本当にわかりずらい世の中を作っています。

それでも
子どもたちは
大人の言葉を
大人の行動を
模倣するわけです。

今日。

某の母校が
初めてセンバツ高校野球選手権に出場します。

元生徒であり
元野球部であり
元教員だった某が

後輩たちに対して
何もしてあげられてないんですが…

今回
こうして大会が行われることは
とても素晴らしいことだと思います。

同時に
昨年の高校三年生たちは

全ての機会を奪われたままです。

高校球児だけではなく
その「ステージ」だけを夢見て

全てを犠牲にして
全力で人生を賭けてきた彼らに

大人は「ステージ」を用意できなかった。

子ども達の判断ではなく
大人たちの判断で

彼らの努力は埋没させられたわけです。

とはいえ
コロコロの猛威は未知であったわけですから

今年は仕方がない

という言い訳は当たり前に使われたわけですが

我々大人は
すでにルーティーン化された
毎日と毎年を歩んでいますが

子どもたちはそうではないわけです。

お金は払っても
あの時間は取り戻せない。

「我慢しなさい」

黙殺された彼らの心
これからどう動くのでしょうか。

努力しても報われない。
その時の状況によって
仕方がないから諦めろと言われる。

そういう思考が
彼らに育ってしまったのは間違いないと思います。

大人たちの日常を守るために
多額のTAXがばら撒かれ

そして
その返済は

奪われた子どもたちが
将来補填しなければならない。

それに気づいた子どもたちは
この国に
どういう「お返し」をするんでしょうか。

うちのチビと
じっくり話す時間がありました。

大学に進学したのに
ほとんど授業は行われず
大学内の施設も使う事ができず
部活動も許されず

仕方がなく
アルバイト漬けの1年間を過ごしたチビが

もう大学辞めようかな。
 働いている方が無駄じゃない気がする

そんな言葉を吐きました。

ゾッとしたんですわ。

うちのチビでこれですから。

奪われたままの子どもたちは

諦める理由」を見つけ始めている。

コロコロより
ずっと恐ろしいのは

子どもたちのそういう心を作ってしまっている

我々大人の方だと

某は自責の念と共に思うのです。

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