こんにちは。
今日、6月23日は『慰霊の日』です。
沖縄にとってとても大切な日です。
約80年前、ここ沖縄は太平洋戦争において激しい地上戦の地となりました。
多くの一般市民、日本兵、アメリカ兵が亡くなった地です。
沖縄戦で亡くなった多くの方々を追悼し、戦争について考え、二度と同じ悲劇を繰り返さないよう『慰霊の日』が設けられています。
慰霊の日を迎える前に、沖縄校でも生徒と一緒に沖縄戦について学びました。
今回は「伊江島」での沖縄戦について学ぶため、伊江出身のスタッフに講話をお願いしました。

沖縄本島にアメリカ軍が上陸するより前に、伊江島に上陸してきました。
アメリカ軍が伊江島に来た時には、青くて綺麗な海がアメリカ軍の大量の軍艦によって真っ黒にみえたといいます。
アメリカ軍が伊江島に上陸してから島での戦闘が終わるまでに、住民だけでも1500人以上が亡くなったと言われています。
その期間は”5日間”でした。
たった5日間の間に島の半数の人が亡くなったのです。
一週間前まで笑顔で話しをしていた隣人や、学校で共に学んでいた友人が5日間の間に帰らぬ人となってしまう、これほど悲惨で恐ろしいことはありません。
伊江島には日本軍が戦争の為の飛行場を作っており、その飛行場の存在がアメリカ軍にばれてしまいました。
アメリカ軍としても飛行機の発着場所が欲しい。
日本軍もこの戦争における重要地点を守らければならない。
そうして伊江島は戦場へと姿を変えました。
戦下では「兵士」と「住民」の境が曖昧になり、多くの犠牲がうまれました。

なぜこの島で平和に楽しく暮らしていた人々が
爆弾の雨や火炎放射器の炎によって命を落とさなければならなかったのか。
私たちは戦争を知らない世代だからこそ、常に考え続けなければならないことだと思います。
午前中は伊江島戦について学び、午後はこの伊江島戦を舞台にした映画『木の上の軍隊』を鑑賞しました。
伊江島戦で大きなガジュマルの木に守られながら生き延び、終戦を知らないまま2年もの間ガジュマルの木の上で身を潜め生きた2人の兵隊のお話です。
映画の中で「なぜ戦場がここ(沖縄)でなければならなかったのか」という問いが出てきます。
「戦争が終わっても自分の帰る場所はここ(伊江島)で、ここ以外は無いのに。自分が友人の靴を見つけたあの丘は、人を殺した場所に変わってしまった。もうこの島も自分自身も戦争が始まる前と同じには戻れない」そう伊江島出身の兵が県外出身である上官に嘆いていました。
私にはこのセリフがとても重くのしかかってきました。
伊江島では今も土を掘り起こすと人骨が見つかるそうです。
そして現在も伊江島の約3分の1は米軍基地となっています。それは沖縄本島も同じです。
約80年前、戦争は終わりましたが、沖縄では今も戦争が続いているのだと思います。
そして2度と戦争が始まる前の沖縄には戻りません。
あるはずだった家や、人や、動物や思い出が、すべて戦争によって塗り替えられてしまったからです。
今も世界では戦争が起きている国があります。
今ある当たり前を壊さないよう私たちは過去について学び、考え続けていきたいですね。