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学級通信「サムライフ」vol,3353

みなさん、こんにちは。
教頭の平形です。

今日は7:30出勤で一人の生徒の送迎をしました。

高校受験です。

持ち物を心配し、丸1日のテストを心配し、なんだか母親のような気分でした。

夕方帰ってきた生徒の顔が明るくて嬉しかったです。

今日の1限目は学園祭のステージ発表の稽古。
上田校は今年もわたくしが担当いたします。

毎年毎年、ほんとに悩みます。
2年ほど関わらない時期がありましたが、もう12回は担当しました。
生徒がやりたいことをテーマに沿って組み上げて行くのが仕事です。

今日は振付をしました。
みんな覚えが早くてびっくりします。
これは振付のしがいがありますね!

2限目も平形授業です。
今日、明日と「震災の授業」を行います。

あの日の映像を見てもらい、みんな、あの日何をしていたかを聞きました。

私の弟は、あの日津波のど真ん中にいました。

病院で介護士をしていた弟は、地震の後片付けに追われていました。
その時、ふと窓から見下ろすと泥水がさーっと向かいの建物の間から流れてくるのを見たそうです。

「津波だ!!」
慌てて患者さんを最上階に移動させましたが、停電でエレベーターが動きません。
階段を背負って運んでいるうちに、津波は4階に到達。
「平形くん、もうやめろ!死ぬぞ!!」誰かに止められなければ、弟は階下に降りて流されていたでしょう。

5階に避難できた患者さんも低体温症で亡くなっていきます。
あの日、津波のあと、雪が降りだしました。
事務所だった5階の布という布を患者さんにかけ、スタッフたちは新聞紙を腕にまきました。
そして、何度も襲ってくる津波、どこまで上がるか分からない水位を目にして、みんなで腕に名前と住所を描いたそうです。油性マジックで。
遺体となって発見された時に、自分だとわかるように。

死んだとしても、家族の元へ戻れるように。

弟は無事です。

15年経った今も、彼は病院のあった場所に花を手向けに行きます。

あの日、助けきれなかった、流されていくのを見ているしかなかったことを悔やみながら。

私の父も母も九死に一生を得ています。
全員無事なのは奇跡といえるほど、多くの方が逝ってしまいました。

明日また3月11日がやってきます。

午後は農業!

学園の畑にじゃがいもを植えます。

種芋を半分に切って、灰をまぶします。
腐敗を防ぐためです。

畑に畝を作って、じゃがいもを植えていきます。

植えたところに水を蒔きます。

美味しいおいもができますように!

ジャガイモ植えが早めに終わったので、学園祭の係活動も少し進みました。

なんだかんだで、あっという間に、4月になりそうです。
忙しすぎて、体も脳みそも1つじゃ足りない状況ですが、私はこの仕事が好きです。
生徒とぶつかることもありますが、彼らが大好きです。

誤解される事はあっても、ベースはいい子ばっかりですから。
私にとっては、もうひとつの家族のようなもの。

彼らが幸せになる事が、たぶん、私の幸せになるんだろうなと、かっこつけじゃなく思っています。

私は何も持っていませんが、家族を思う愛情だけはあります。
(この愛情だって、30代半ばでようやく生まれたものです。ひどい人間でした。)

支援に関して、いろんな意見やアドバイスをいただきます。

ひとつひとつ耳を傾け、対処しますが、その意見に「愛情」というベースがなければ、私は耳を塞ぐでしょう。

明日は高校受験の生徒の面接日。
朝も早いので、そろそろ切り上げようと思います。

今日も良きサムライフでした。

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