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第六弾 想いを形にすること

【想いを形にすること】

 

想いを言葉に変えなければ

言葉を口に出さなければ

口に出したことを始めなければ

始めたことを続けなければ

 

想いは決して形にはならない。

 

新年を迎える時。人はなんとなく目標みたいなものを

頭の中に想い浮かべる。

書初めなんかは

それをしっかり可視化する作業で

目標達成におけるプロセスの初期段階としては

非常に有効的な手段だと思う。

しかしながら掲げたその言葉を365日継続することはかなり難しかったりする。

 

夢を叶える。

 

とても美しい言葉だし

誰もが羨望する状態を指す。

とは言え

人類における「夢叶率」はいかほどなのか。

そして

何をもってそれが「叶った」と断定できるのかも曖昧で

不確かなものであったりする。

それでも人はいつの日からか

それがなければ自分は幸せではないと思い込み始めたのではないだろうか。

 

確かに目標を掲げることは

人生を楽しくする。

それは間違いではない。

しかし達成率は極めて低いことは想像に難しくなく

故に人々は盲信するのかもしれない。

 

歴史をどこまで遡れば

「夢ってなんだ?」に辿り着くんだろう。

 

「ナガオカさんにとっての夢ってなんですか?」

と聞かれるようになってから

その度にそんなことを考えるようになった。

 

某にとっての夢が叶ったかどうかは

正直分からないし

そもそも本質的に某が根幹的にやりたいことなのかも

今となってはどうでもいいことで

探求するつもりにもならない。

つまり答えなどないのである。

 

確かに

教師には一応なれたし(僅か5年なんで元教師なんて恥ずかしくて言えなくなった)

本は出版したし(売れなかったし。それでもまた出すんだけど…。)

店は作ったし続いているし(なんとなく飲食と美容で4店舗やってる)

学園は設立したし(もう今年で15周年…)

東京や沖縄にも仕事を作ったし(もはやどこに自分がいるのか分からなくなる日々)

売れないくせに映画になって全国ロードショーもしたし(もう。本当にミラクル)

廃館した映画館を復活させたし(まだいろいろ難題は転がってますが…)

ラジオ番組を始めたし(FM八王子ではあるんだけど)

振り返ってみても

人様から見れば「夢を叶えてる!」と思われるかもしれない。

 

しかし当の本人は

そんな実感はほとんど得ていないのである。

 

あるのは

「想いをカタチにした。」ということだけである。

 

その想いを形にする作業に

才能や境遇はほとんど関係しないと思っている。

 

ただ想い続け

そしてその想いを形にするための「何か」をし続けるだけである。

「やったことのあるあんただから簡単に言うんだ。」

と言われるかもしれないが

それも否めるつもりはない。

事実として出来たことに関しては自信をもって断言できるのだから。

そして

更にはそれはとても大変なことではないということも同時に付け加えることが出来る。

 

その誰にでもできるであろう

単純で単調な行動を

壊れたレコードのように繰り返し繰り返しし続けたり

結末が分かっている映画でも

何度も何度も繰り返し見て同じところで感動するような

 

普通は「やーめた。こんなことしてもなんにもならん」

と投げてしまうようなことを

何の疑いもなく続けることは

簡単なようで

だから故にもしかしたら誰もが続けないことなのかもしれないと

何となく最近気づき始めているのである。

 

大きなことをしなければ「夢」と語れないとか

誰かをあっと驚かせるような発明じゃなければならないとか

そんなもんじゃなくても

 

十分

想いを形にすることは出来るのである。

 

毎朝つやつやの白米を炊く

歯磨きを歯科医以上に完璧にこなす

365日一行日記をつける

禁酒・禁煙する

 

まあなんだっていい。

頭に思い浮かんだ「たい」を言葉に変換し

それを口に出して音声化し

その音声を誰かに届け

その内容を行動に移し

移した後も継続し続けるだけで

 

想いは形になるはずである。

 

その形を誰が何と言おうと勝手だし

自分でどう表現しようと自由だ。

 

形が増えれば増えるほど

人は幸せになることは間違いなさそうだ。

 

某は今。幸せだからである。

 

今年も想いを形に。精一杯。

 

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