校舎の根にぽっかりと穴が開き
焼き出された様々な物の山の中にあった
「青空事務所」のテーブルで
「とにかくだ。大したことじゃねえ。だからまた始めりゃいい。」
立つほどのお札の束を
ポイっと某の目の前に差し出しながら
あの人はそう言った。
「こんな大金頂けません…。」
某がそう言うと
「顔はそう言ってねえよ。」
そう言って笑った。
強面で豪快。
知らなかったら絶対に近寄ることなどないであろう
あの人に出会ったのは
学園を立ち上げて二年目。
合宿型に踏み切るか否かを判断するために
全国にある合宿型支援施設を視察して回っている時だった。
どうしても自分の目で見ておきたかった
合宿型支援の
いや若者支援のパイオニアである
青少年自立援助センターに訪問した際
対応してくれたのがあの人だった。
「余計なことはしなくていい。とにかく奴らの場所をつくってやりゃいい。
そもそも力がある連中だ。一から施すなんぞ失礼だ。」
こちらが一質問すると十返ってきた。
凄みの中に緻密さと圧倒的な「優しさ」を感じた。
第一印象は「勝てねー。」だった。
その後サムガクは全国に26団体あった
厚労省委託事業所である「若者自立塾」の一員となった。
年に数回ある
全国会議がその人と会う機会ではあったが
挨拶を交わす程度で
あまり近づくこともなかった。
まだ「近づくレベル」じゃないと思っていたからだ。
その全国会議でも
最後は大体あの人の一言でしめられていた。
全国の主宰者が厚労省側に対して好き勝手「感想」を述べる中
その人の発言は常に
この業界全体を考え
この業界の未来を見据えた
秀逸なアドボガシーだった。
「自分とこのことはどうでもいいんだよ。ちゃんと回りを見れねえと。
ちゃんと仲間たちのことを考えられねえとみんな潰れちまうぞ。」
初めて
あの人に会議の後に飲み会に誘われて
某が自分の法人の現状を相談した際に返された言葉を
未だに覚えている。
自分のレベルの低さを痛感した一言だった。
NPOなんて主宰する人間は奇特だ。
どうせ同じ苦労するならば金儲けの車に乗ればいい。
某もお金儲けだけに集中するならば
そっちのがずっと簡単だと思っている。
ある意味。人を騙せばいいわけだから。(誤解を恐れずに言えば)
100円の原価のものを1000円の価値があると
思いこませればいい。
それがビジネスだって思っている。
それが悪いとは思わない。
だってそれで経済は成り立っているし
片方では人が幸せになっているわけだから。
でもNPOは違う。
物質的な豊かさよりも精神的な豊かさに価値を持ってしまった人間にしか
絶対にできない。
某もこれまで
新しいことを始める際。
様々な人に
「一緒にやりません?」と誘ってみたことがある。
某の妄想で始まることばかりなので
最初のうちは
「おー!楽しそう!やるやる!」
なんて言うんだけど
いざ具体的になってくると
初期投資の資金や
しなければならない借金や
その後の返済の責任なんかが具体的になってくると
静かにフェードアウトしていく。
まあそれが普通だと思うので何とも思わないんだけど。
NPOは
いくら頑張っても
経済的に報われることなんてない。
行政委託だってひどいもんで
公務員一人の年収でNPO職員3人働かないとできないような仕様がほとんど。
NPOに就職する側は
嫌になったり
苦しくなったり
お金が足りなくて仕方がなくだったりで
自己都合で辞めることは出来るが
主宰者は責任があるから簡単に辞められないし閉じられない。
辞めたら
「やっぱり人間っていいことでは生きていけない」モデルを作ることになる。
そんな種を
社会に撒くことなんてできないから。
いまや
それなりにNPOって名前が
市民権を得て
それなりの決済額を叩き出すNPOも増えてきているが
あの人が
活動を開始したのは半世紀前。
誰もやったことのない
誰もが無理だと思っていた
「人の心を愛することで食べていく」道を
あの人は切り開いたんだと思う。
だから
某のような
奇特な若輩にはとても厳しかった。
「作る」ことは簡単だが
「続けていく」ことは10倍大変だからだ。
でも絶対に見放さなかった。
厳しさの中にやっぱり「人の心を愛する」姿があった。
後に出会った心友でもある
あの人のご子息は
一見。あの人とは真逆の人間に写る。
しかし
某は初めて出会った日に
やっぱりあの人の息子さんだと思った。
だから
一生付き合っていこうとその日に決めた。
親子揃って
どこの馬の骨ともわからない
ど田舎の小さな学園を
全力で守ってくれた。助けてくれた。
2010年10月7日。
校舎火災から二日後。
あの人はガハハと笑いながら
某の目の前に現れた。
あの日から9年。
あの人が逝った。
心友の啓くんに
頼まれていたのに
忙しさにかまけて
会いに行かなかった大馬鹿野郎は
とてつもない後悔に襲われている。
まだ
「人の心を愛することで食べていく」ことの出来ていない
某には
あの人の「一撃」が必要だったような気がする。
あの人にしかわからない
あの人にしか言葉にできない
今の某に必要な「一撃」がもう貰えない。
この先の道を
どう切り開いていくのかは
残された我々の使命だ。
「難しくねえよ。振り返れば道はあるんだから。
俺っちの頃はその道さえなかったからな。」
青少年自立援助センター 理事長 工藤定次様
あなたの教えを
少しでも使える人間になれるよう努力します。
本当にありがとうございました。
ゆっくり休んでください。
合掌