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学級通信「サムライフ」vol,2497

茶々です。

I am just grateful to the people who devoted their lives to people whose voices unheard and unspoken and whose hearts wounded and helpless.

声が届いてこない、もしくは心の声を話せない、心が傷ついていたり、誰の助けもない、そんな人達のために、人生を捧げている方々に感謝しています。

Today we could celebrate our school’s founder and president Nagaoka sensei’s birthday.  His being and his works have been changing lives here.  His visions and sacrifices have made many lives livable.

今日は、サムガクの創設者で理事長の長岡先生の誕生日をお祝いすることができました。彼の生き方や仕事によって、人々の人生はここで変わってきました。長岡先生がビジョンを持って自分の時間を費やして働いてこられたことで、多くの人が生きる力を手に入れてきました。

Through his sharing historical background of 18 years ago of Samugaku, I feel…

長岡理事長が教えてくださったサムガクの18年の歴史と背景を通して、私は次のようなことを感じています。

To live is hard.

To express the pain is not easy.

To have someone to talk our hearts is beyond difficult.

To have conversation with someone who didn’t talk or hardly talk is just a wall.

Families are unique.

Background of families is varied.

Living lifestyle is different.

Everything seems impossible if we got to reach out the individuals who are with struggles of life and death.

生きることは難しい。

痛みを表現することは簡単じゃない。

心を打ち明ける相手を見つけるのは、難しいなんてものじゃない。

話したことがない人と会話するのは、まるで壁のようなものだ。

家族は唯一の存在だ。

家族の背景を違う。

生き方は異なる。

生死の苦しみを抱える人たちに触れた時、何もかもが不可能に感じる。

Here is one episode from Nagaoka sensei’s class, “I wanted to found/establish a school at the age of/ by 30 years old.  Before I hit 30 years old, I founded Samugaku.  There, we got to hold the Samugaku and its PR (public relations)/ gakko setsume to people.  We didn’t expect people would show up.  However, the fact that people showed up at the first PR of Samugaku made us super surprise.  Some of my colleagues and I started Samugaku without having a proper paycheck guarantee.  After school, we all worked part time jobs for living.  Instead of working for living with and through and at Samugaku, we started with the hearts working for the meaning of life.  At the time of Samugaku and its launching, we got one student enrolled.  However, that very first student didn’t show up from Day 1 of Samugaku.  We all waited for that student a whole day and more days onwards…”  Now Samugaku is 18 years old and many more years to go to reach out all the young generation.

長岡先生の授業で、こんなエピソードがありました。

「30歳になるまでに学校を設立したかった。そして30歳になるまでに、サムガクを設立した。そこで、学校説明会を開いた。誰も来ないだろうと思っていた。ところが、実際は、人がやってきた。その事実に本当に驚いた。同僚や私は、サムガクをスタートさせる時、ちゃんとした給料もなかった。だからみんな放課後にバイトをして生活費を稼いだ。生活費を稼ぐためではなく、人生の意味を感じるためにという気持ちでサムガクを始めた。しかし、最初の生徒は、サムガク1日目に現れなかった。私たちはみな丸一日その生徒を待ったし、次の日からも待ち続けた」

現在、サムガクは18年目で、これからもずっと若者に手を伸ばし続けます。

In the afternoon, practices for school festival.  Following is one of the OB’s thought

午後、学園祭に向けての練習がありました。以下に一人のO Bの言葉を紹介します。

久しぶりにサムガクにきて、学祭の練習を少し見学したのですが、

在籍していた時を思い出すような、少しピリッとした緊張感のある空間で、生徒たちはみんな一生懸命練習していました。

舞台の上で発表すること。しかも歌ったり踊ったり。

それは自分に挑戦することだったなあと思います。

サムガクにいると自分の限界に挑むチャンスは何度もやってきます。

それは学園祭に限らず、寮生活だったり、遠足だったり、自分のバイトだったり。

どんな機会でもいいと思います。でも生徒たちがサムガクでの生活を通して、自分を知り、自分自身を乗り越えられたらいいなと思います。

僕自身も卒業してからたくさんの山と谷を乗り越えている途中です。

O Bと生徒がお互いの姿を見て、お互いが頑張ろうと思える。そんな関係性を作っていけたらなあと思いました。

感謝でいっぱいです。

茶々より

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