東北関東地域及び
長野栄村で災害に遭われた全ての皆様に
心からお見舞い申し上げます。
何でこんな時に
ロケロー内田氏逮捕?
皆さんこんにちわ。
不肖侍長岡です。
キリン婦人のコメントに
ホンモノを感じました。
さすがお化けのロックンロールです。
今日の更新は
ちょいと長くなるのでご容赦下さい。
土日で
支援拠点となる
岩手県は宮古市に行ってきました。
視察及びリサーチ目的でしたが
かなりの収穫もあり
本気モードにシフトすることが出来ました。
が
とにかく遠い…。
ボランティアも含め
あの距離感がハードルになって
支援が届いていない地域であることは
間違いないですね。
それがしは
宮古市に何の縁もゆかりもないんですが
若年者支援の仲間で
支援拠点をそこにしようと決めたので
なんとなく
宮古市なのかなあと
入ったんですが
やっぱり現場を見ないと始まりませんね。
ここでやるんだって
気持ちになりましたから。
でも
それがし一人でやることでもないし
それがしのアイディアでやれることでもないので
そこは慎重に行かねばなりませんが
勢い的には
かなり本気モード突入です。
前回医療支援で入った
宮城県は気仙沼市・南三陸町に比べると
市街地の被害はそれほどでもありませんでしたが
比べるとです。
酷いことには変わりありません。
行方不明者や亡くなられた方も
沢山いらっしゃる地域であることも確か。
それでも
復興の狼煙は上がり始めている感じがしました。
漁師の町であることを
すっかり忘れていたもので
活気というか
男気というか
エネルギッシュなあの町に
ガツンとやられた感じです。
元々
若者が出て行ってしまう地域でもあるので
若年者支援がどこまで出来るかわからないのですが
長岡流情報収集は上手くいって
かなりの状況を把握することが出来ました。
これからは
プロジェクトを具体化し
こちらから送り込む人材と
宮古市で被災した若年者を雇用する動きが
始まると思います。
被災地を回って
一番感じたことが
その地域に「希望」がなかったこと。
これから「この町をどうしようか」
ではなく
これから「どうすればいいんだ」と
打ちひしがれている高齢者と
沢山お話をしました。
高齢者の方もエネルギッシュですから
それはそれで必要だと思いますが
やはり
町の復興には間違いなく「若者」がシンボルになるしかない。
「若者の雇用」を生み「若者による起業」を生む。
「俺がこの町を立て直すわ!」
ってな若者が
立ち上がることが
「届けられる復興」ではなく
その地域で生まれる「復興」に繋がると
それがしは思っておるわけです。
そのお手伝いなら
それがしにも出来る。
そう思って宮古に入りました。
能無しのそれがしが出来ること。
つまり
被災若年者の「雇用」を生む具体策としては
長期的に被災地に入ってくるであろう
全国からのボランティアの人々をターゲットに
ボランティアプラットフォームの様な「飲食店」の経営
をしようと。
地域のボランティアのニーズを把握し
そこへ行けばボランティアの情報が得られる。
そして
地域の方や他地域から来たボランティアの仲間たちと交流が出来る。
地元の酒や食材を提供することで
地域の産業支援をしながら
飲食店の経営によってそこに働く若者の雇用を生む。
WINWINの関係ではなく
WINWINWINWINぐらいの関係が見える
そういう場所を
地域復興のシンボルにしたい。
全国の若者たちからも
そして
賛同してくださる方々から
寄付を募り
その想いを
地域の「元気」にしていく。
まさに
ドラゴンボールの「元気玉」みたいな感じ。
だので
プロジェクトの名前は
仮ですが
「元気玉プロジェクト GDP」
「国内総生産」にちょいと引っ掛けてますが
みんなの元気を
人的にも寄付金的にも被災地に送ってもらう。
被災地の若者がその「元気」を受け取る。
被災地域に集まった「元気」を
その若者たちが地域に炸裂させる。
ココロの中の
「元気の生産率」を上げるプロジェクトです。
具体的に進んできたら
是非
このプロジェクトに参加してください。
お願いします。
港から見た
宮古市市街地に入る道路です。
何ともないように見えますが
この地域も
2mの津波に水没しました。
二ヶ月でここまでに復旧してます。
後ろを見れば
こんな感じで
高台から見下ろせば
かなりの被害があったことが分かっていただけるかと。
しかし
仮設住宅の建設も着々と進み
宮古市外では
6月下旬には仮設は充足する見込みみたいですね。
港にはまだ瓦礫の山が
これから更に高くなろうとしていました。
そんでもって
ここが拠点になります。
二階にはもうすでに佐賀の団体から
一人専属で入っています。
まだ玄関は津波によって破壊されたままです。
水没した店内は
かなりきれいに掃除してもらって
手を入れればいい店になりそうですね。
昼前に宮古市を後にし
三陸海岸をひたすら南下しました。
報道で知ることの出来ない地域も
甚大な被害を受けていることが分かります。
山田町の写真ですが
地域丸ごとなくなっていました。
大槌地域
ここも酷かった。
皮肉にも波は穏やかでキラキラしていて
あまりにも美しい風景が広がってました。
このギャップが更に胸を苦しめます。
陸前高田市
言葉を失います。
同行したスタッフも口数が減り
カメラを向けることも
積極的になれませんでしたね。
釜石そして大船渡と
写真はありません。
車内に重たい空気が流れてましたから。
仕方がありません。
ピクニック気分や
観光気分で回れる地域ではないですから。
重く受け止める為。
そして
自分の心を奮い立たせる為
見る必要があると思います。
どこだったか
記憶が定かじゃありませんが
沿岸にあった球場が水没してました。
気仙沼を抜け
前回入った拠点である
本吉病院にもよってきました。
まだまだ気仙沼も
酷い状況に変わりありませんが
病院は診療も始まっていて
瓦礫もきれいに撤去されてました。
なんだかとても嬉しくなりましたね。
そして
南三陸町へ。
多少瓦礫の撤去はあるのかもしれませんが
印象としては
一ヶ月前と何も変わっていませんでした。
防災センターも
あの日のままでした。
手向けられていた花が
浜風に揺れていました。
支援に入っていた
志津川中学校の校庭には
やはり仮設住宅が建ち始めていて
避難所に非難している人はもうほとんどいない状態でしたね。
みなさん
どこか別の場所に非難されているんだと思いますが。
瓦礫の中に
たたずむ足踏みミシンが
それがしに何かを訴えるようにそこにありました。
うん。
文明にたよることなく
とにかく
自分の足で踏め!!
とでも
言わんばかりで。
思わずシャッターを切りました。
石巻まで見る時間は無かったのですが
それでも
かなりの時間をかけて
深夜明けに
無事信州にたどり着きました。
疲れはさほど蓄積されてない気がしてます。
一緒に行ってくれた
スタッフに感謝です。
また
具体的に動きがあったら
ここで
発表していきますね。
以上
視察報告でした。
★★ 本日の直球言魂 ★★
俺たちが絶対つぶさねえから。
被災したお店の
ママさんが
お客さんに言われた言霊だそうで。
その言葉によって
再開を決意したんだそうです。
みんな被災者なんです。
それでも
支えあおうとしている。
それに応えようとしている。
復興の狼煙を感じた
言葉でした。
★★ お礼 ★★
頭募金及び
学園へ直接ご持参下さった皆様。
本当にありがとうございます。
皆様の思いはシビックフォースさんに託し
http://civic-force.org/
必ず被災者の皆様にお届けします!!!!
justgivingjapanにおいて
「TAEM365Q」のチャレンジを立ち上げました。
八日間の皆様からのご寄付を
justgivingjapanHPで反映されました。
ご協力くださった皆様。
ご確認ください。
http://justgiving.jp/c/3444
★★終了報告★★
育て上げネットの為に
長岡がチャレンジしていた
「1000キロラン」ですが。
ご報告遅れましたが
無事にゴールいたしました。
この件に関しては
改めて
詳しくご報告いたします。
こんな状況下なので
我々の復興など二の次なんですけど
それでも
我々に対するご支援も続いていることに
何ともいえない感謝と共に
御礼申し上げます。
★★おしらせ★★
「不肖・長岡と仲間たち」が運営する
WebTV局「TV’s HID」
ライブ会場で
大震災の義援金集めをして下さっている
横道兄貴たちのHPはこちら
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/ginjirou/index-pc.html