前略 親愛なる皆様
本当にブログの更新という名の
習慣が消えてしまっている
不肖侍長岡です。
気がつけば
1月17日から更新していないようです。
こんなことは
たぶん
このブログをはじめてから
かなりの年月が経ちますが
はじめてのことかと。
新しいことをはじめるには
進化するためには
捨てる勇気が大事。
なんとなく
そんなことを良く考えるようになりました。
大切なものを捨てるつもりはありませんが
次に進むために
足かせになるようなものであれば
ばっさし切り捨てることも
それがしのように
捨てられない症候群の人間には
本当に必要かもしれませんね。
いまだに
自分の小学生時代の絵が捨てられなかったり
子どもが書いてくれた
父の日の絵
それも
どう考えても人間に見えないようなものでも
捨てることが出来ず
かといって
飾っているわけでもなく
ただただ
開かれない「もの」として
そこにつみあがっていくわけですからね。
動かないものの塊があると
そこには
ようない空気が生まれ
気が停滞するとか。
今年のテーマでもある
考えるな。感じろ!
を遂行するには
弊害になる恐れもあります。
みなさん。
捨てられていますか?
いや
変な意味ではなくてです。(笑)
(最近二度目の捨てられ離婚をした友人を思い出したもんで・・。)
冗談はともかく。
今日は
それがしにとって
とても大切な日でした。
それがしは
色んなことやっているように
思われていますが
本業は一本です。
学園の生徒たちの成長を願い
共育するのが(それがしも一緒に育ててもらいますが)
それがしの生き方であり生き様です。
その仕事で起こる
出来事を上回る
ドラマティックで感動的で
自分が生かされていることを実感することは
他にはありません。
(自分の愚息に関してはいい意味で全く次元の違う話で別ですが)
今日も
それがしにとって
大切な人間の
一つの大きなライン越えを
目の当たりにする
とっても大切な記念日になりました。
サムガクの卒業ってどんな基準?
ってよく聞かれます。
在校年数だとか
本人の自己決定によって随時だとか
二刀流を使えるようになったら?だとか
色々な想像をされるようですが
実際のところ
かなりシンプルで
かなりハードルが高いことは確かです。
詳しくは書きませんが
①精神的自立を果たせているかどうか
②経済的自立を果たす可能性があるかどうか
大きくはこの二点において
本人の自覚があり
更には保護者の納得があり
更には職員会の卒業認定会議で承認され
更には
閻魔大王のごとく
かなり厳しいそれがしの承認が必要となります。
でなければ
サムガクの卒業式には立てません。
ですから
中には
卒業式に立つことなく
サムガクを去る生徒もいます。
その生徒たちは「修了生」と呼んでいます。
修了生はまだサムガクの卒業式に立つチャンスを
自分のステージで作ることも可能だったりします。
実際に
昨年の卒業式には
一年近く学園には通っていませんでしたが
フルタイムの仕事をし続けた生徒が
一年後の卒業式に立ち卒業しています。
いじわるでそんなことをしているのではなく
卒業させてしまえば
もうそれがしたちは「支援」出来なくなってしまうし
生徒も「支援を求められなく」なってしまう恐れがあるからです。
中途半端に卒業させ
その後
また躓いてしまったとして
再入学はなんともしっくり来ませんし
本当につらくても
卒業したんだから・・・と相談しづらくなってしまっては
最悪だと思っています。
だから
ここを離れたら
自分の力で
さまざまな困難に立ち向かい
ボキっと折れることなく
自ら解決できる力=「基本的な生きる力」
を身につけられたと思える生徒しか
卒業させていないのです。
入学の際。
それがしは生徒と親御さんと
契約をします。
これは
それがしにとっては命がけの契約です。
中途半端な約束はしません。
それをそれがしは絶対にぶらしません。
ただそれだけです。
でも
求められなければ
それがしは追いかけることもしません。
おせっかいほど
つまらんものはありませんから。
約束が必要なくなり
約束を忘れ嫌悪感を感じたならば
それはそれがしの責任でもあるでしょうし
ミスマッチだったのかもしれません。
でも必要以上に
迎合することは絶対にしません。
したところで
何の解決にもならないことは
失敗の中から十分学習しているつもりですから。
あらら。
また長くなったので
苦情が来そうなのでそろそろここで
卒業についてはやめときます。
サムガクには様々な過去を背負った
生徒たちが集っています。
その過去を
背負うだけの力を手に入れて
過去ではなく
明日へエネルギー使う方法を手に入れて
ここを巣立っていきます。
今日のライン越えも
卒業へのライン越えでした。
今思い出すだけでも
涙腺がやばいですが
彼女がはじめてそれがしの目の前に
現れた日を鮮明に覚えているからこそ
その成長と
そのプロセスにおける彼女の努力が
それがしの心を揺さぶるわけです。
合宿生活をこなし
一人暮らしをし
一年間
アルバイトをしながらの学園登校という
二束のわらじを貫徹。
卒業のハードルを
きちんきちんと乗り越えてきた彼女にも
越えられないものがありました。
人それぞれ
自分が抱えてきた重たい過去がある。
他人には到底理解できないが
本人にとってはそれはそれは重たい過去だったりする。
でもそれを
「よいしょ!」って
担げなければ
自分の足で立ち
生きていくことなど出来ない。
彼女にもそんな重荷がありました。
今日は
サムガク週一の体育の日。
入学から今日まで
何回の体育があったでしょうか。
体育だけではなく
スポーツ好きが集まったスタッフ集団をもつ
サムガクでは
さまざまなスポーツイベントが年間に何度もあります。
それでも
いつなんどきでも
彼女はそこに居るだけでした。
体育館では見学位置が定位置。
どんなに寒い冬でも
彼女はみんなの上着を重ねて
底冷えする体育館の床に腰を下ろし
二時間を過ごしていました。
グラウンドでは常にベンチに。
それは彼女のこだわりであり
そして
自分の歴史を大切にする姿だったのかもしれません。
だから
それがしは
特別なにも口出しはしませんでした。
本人が気づき
動くまで
何の意味もないし
そんなことは
他人がどうこう言うべきものではないことは
彼女がかたくなにそうしていることで
察しがつきました。
彼女が
卒業をほのめかした時。
はじめてそれがしは
そのことを口にしました。
「まだ越えなきゃならないラインがあるけどな。」
遠回しでしたが
彼女は理解していました。
それから
彼女はその「過去の重荷」と
毎日戦い続けていたんだと思います。
それがしとの約束を守るために。
未来の自分との約束を果たすために。
たかが体育の時間。
なんのことのない日常にあるその時間が
その人間にとっては
チョモランマに登るようなハードルであることも
実際存在するわけです。
それを鼻で笑う人間は
この仕事は出来ません。
すこしでも
理解できないのであれば
この仕事は出来ません。
なんでもない
ただの体育の時間のために
彼女はどれだけ涙を流したか。
彼女はどれだけ眠れぬ夜に苦しんだか。
彼女はどれだけ逃げ出そうとする自分を戒めたか。
考えただけで
胸が苦しくなります。
それ以外は
なんなくクリアーしてきた彼女だからこそ
そのクリアーを
あからさまに見せびらかすわけでもなく
湖面の下で全力で水かきしながらも
湖上を優雅に泳ぐ水鳥のように
本当の努力をしてきた彼女だからこそ
たまらなくなりました。
それでも
卒業認定までの日時は限られていて
今日がその最終日だったわけです。
いつもは
体育には参加するそれがしですが
今日は
一緒にやるような気分にななれず
逆に
彼女がいつも居た場所から
彼女のライン越えを
見守ろうと思いました。
朝から苦しそうで
スタッフたちに泣きついていた姿を
横実で見ていたので
「ダメかな・・・。」
なんて思いながら
生徒たちよりかなり遅れて
体育館のドアを開けて入りました。
そこから
彼女の定位置までの間。
こみ上げる涙をこらえるのが
精一杯のそれがしがいました。
彼女はコートに立っていました。
ぎこちない姿でしたが
紛れも無く
みんなと一緒のコートに
彼女の姿がありました。
彼女の定位置に座り
その冷たさを始めて実感しながら
彼女が3年間。
この冷たい床で
眺め続けていた光景をはじめて
目に映したとき。
なんとなく
彼女のこれまでを想像することができて
どうしても見たかった
彼女のその姿が霞んでいきました・・・。
考えてみたら
それがしも
見学の期間が長かった人間です。
もう
二度と運動など出来ないと宣告され
仕方が無く
体育に参加はすれど
見学しか出来ず
元気に動き回る仲間たちを
見れば見るほど
苦しくて仕方が無かった
情けなくて仕方が無かった
忘れていたあの時を
思い出すことが出来ました。
それも同時に重なって
コートに立つ彼女の姿に
おめでとう
と
ありがとう
を伝えながら
生涯初。
体育の時間で
三十後半のおっさんが
号泣する羽目になりました。(涙)
彼女を支え続けた
ほんにつよくて
ほんにやさしい
母親の鏡みたいな
それがしが大好きな
彼女のお袋さんに
この光景を
大声で伝えたい気持ちは
それこそチョモランマ級ですが
その日まで
その日までとっておくことにしました。
まだ
会議が済んでいないので
確定はしていませんが
それがしの心の中では
もう決めました。
彼女を社会にお返しします。
だので
今年もサムガクの卒業式。
挙行いたします。
まだ他にも
卒業生が出る可能性はゼロではありませんが。
奇しくも
今年の卒業式は3月11日です。
もし良かったら
一緒に彼女の巣立ちを
お祝いしていただけませんか。
サムガクの卒業式は
どなたでもご参加いただける式ですから。
半月分書きました・・・・。
最後までお付き合いいただいた方。
本当にすみません。
そして
ありがとうございました。