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6月23日という日

なんとなく分かるから
困ったもんです。

「あ。これダメなやつだ。」

そう感じると
次から次へと

「はー。」的出来事が押し寄せる押し寄せる。

信用しなくてもいいけど
疑われるのは心外ですね。

不肖長岡です。

★★★

皆様にまず
御礼申し上げます。

サムガク新学生寮「ミライフ」への
ご支援本当にありがとうございました。

お陰様で
目標達成いたしました。

ミラクルです。
また目の前でミラクルを見せていただきました。

皆様の想いを
生徒たちはしっかりと実感しながら
自分の未来を作るために
寮生活を送っていきます。

そして
これから未だ見ぬ未来のサムガク生の為にも
このミライフは沢山活躍してくれることと思います。

本当にご支援
ありがとうございました。

今後ともよろしくお願い致します。

★★★

さて。
今日は一日祈る日であります。

日本国内では
唯一白兵戦が行われ
多くの一般国民が犠牲になった
沖縄終戦慰霊日です。

「ナガオカは何故沖縄に行っているのだ?」

よく聞かれることですが
話すと長くなるので
なんとなく答えています。

「リゾートへ遊びに行ってるだけじゃね?」
なんて思う方は思っていただいていいんですけど

飛行機嫌いですからね。
猛烈に…。
一週間前から憂鬱になりますからね。

そんな思いまでして
月に一回。
もう五年目になりますよ。

沖縄の子どもたちや若者がおかれている
状況は
本当に深刻で
それを少しでも好転できるよう
お手伝いが出来ればと思っていますが

根本的なところは

今。自分の命があるのは
あの沖縄戦で犠牲になった人々の上にあるのではないか。

18歳で初めて沖縄を訪れた時。
ドカン!とですね。
ドスンですかね。

頭の中心にぶち込まれたというか。

バカじゃないかと思われてもいいんですけど
今の日本があるのはですよ
沖縄という島が
大きな犠牲を負ったからだと
本当にそう思っているんですね。

大空襲や原爆も
そりゃ同じ命の犠牲だったかもしれませんが

沖縄戦は
ちょっと違うんだと思うんです。

家族が家族を殺めなければならなかったし
守ってくれるはずの日本兵に命をとられたり
まだ成人していない
子どもたちが多く戦場で散っていきました。

そして
それだけの犠牲を払いながらも
終戦の後。
唯一占領され
日本に返還されたのは
某がこの世に誕生した年の前年。

今尚
アメリカ軍の基地が
島の多くを占用しているわけですね。

某は思うのですよ。

沖縄は
まだ「戦後」になってないって。

戦闘は終わってるのかもしれません。
それでも
あの戦争から続いている「闇」が
そこここにあるんです。

子どもたちの足元にも転がってます。

18歳から26歳まで。
毎年沖縄に入りました。

ガマに入り
戦没遺骨収集ボランティアに参加しました。

そして
多くの戦争体験者である
おじいや
おばあの話を聞かせてもらっていたわけですよ。

最初は
なんも教えてくれませんでした。

何年か
通っているうちに
ようやく少しずつ話してくれるようになって。

それ忘れないように
唄にして
唄い続けているわけです。

戦争は
絶対にさせませんから。

子どもたちを
戦場へ送るようなことは
絶対にしませんから。

あの日。
何の罪もなく散った多くの命へ

今生きている某が誓えることは
そんなことしかありませんけど。

生きていくことってのは
しんどいかもしれませんが

奪われない環境ってのが
普通ではなく

守られてきていることに
日本人は
もっともっと気付くべきです。

そして
これを守り続けるべきです。

争いからは何も生まれません。

新しい風。吹かせるしかないのだと思うのです。

心からご冥福をお祈りします。

合掌

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