記憶の中では
父親に一度
母親に一度
ちゃんと叱られたのは
それぐらいで。
しかし
親以外の「大人」には
シコたま
叱られてきた
不肖ナガオカです
★★★
某は
両親共働きの家に生まれ
(それも三人兄姉の末っ子)
小学校に上がるまでは
母方の祖母のうちで育ちました。
毎日
祖母のうちで寝て
寝ている某を
父親が迎えにきて
朝起きると
祖母の家に寝ぼけている
そんな幼少期でした。
祖母の家は
国道18号沿いにあって
目の前は
沢山の車が行き来していましたが
保育園にも
一人で通っていました。
(今考えると
祖母や母親はかなりの強者かと思います…)
保育園から帰ると
祖母が
『どっちだい」と尋ね
「今日は味噌」と答えると
冷たいご飯で
味噌むすびを握ってくれました。
バリエーションは「塩」か「味噌」でした。
それが
某の「おやつ」でした。
なので
祖母の家にあった
「菓子鉢」の中の煌びやかなお菓子たちは
当然某の口の中には入らず
菓子鉢を開けたのを
ばれようものなら
とんでもない雷を落とされました。
数年後。
友達の「ヨッちゃん」(今はアメリカにいるがです。)
の家に遊びに行った際
ヨッちゃんの母上が
「おやつよー。」って出てきた
砂糖を塗した手作りドーナッツに
お皿に乗った白いカップに入った
「紅茶」なるものが出てきたときに
衝撃を受けたものです。
紅茶のお皿には
紅白の薔薇の角砂糖が添えてあり
食べていいものか
猛烈に迷ったものです。
「ヨッちゃん。誕生日?」
と聞くと
「なんで?」とヨッちゃんは
不思議そうな顔をしました。
祖母のうちには
某の遊ぶ「おもちゃ」などあるわけなく
足の折れた
プラスチック製のライオンだけが
某の遊び相手でしたが
ヨッちゃんのうちには
プラレールがあり
大空魔龍ガイキングの超合金があり
ギターがあり
ゴダイゴのサインまでありました。
羨ましさの宝庫が
ヨッちゃんの家だったわけです。
そんなコンプレックスから
どうでも自分のおもちゃが欲しくて
やらかしてしまった
という
本題にいよいよ入るがです。
祖母の家の近くには
たい焼きが今でも有名な
『清野たい焼き店」
そして
某の遊び場であった
「大輪寺」門前にあった
「中曽根商店」
などが点在していました。
その両店には
店先に
当時こどもたちの羨望を一点に集める
「ガチャガチャ」が設置してあったがです。
十円玉を2枚重ねて
ガチャガチャ
ってやるやつです。
菓子鉢も触れない
片足のライオンしかなかった
某にとって
ガチャガチャなんぞ
夢のまた夢で。
それでも
欲しくなった某は
いいことを思いつきました。
「割って出せばいい」
何故
そう思ったのかは
今となってはよく覚えていませんが
とにかく
当時
某の言うことを聞いてくれた
「マサル」と一緒に
清野たい焼き屋の前にある
二連式のガチャガチャを
強奪するのであります。
保育園の時ですから
5歳か6歳です。
よくあんなもんを
二人で運べたなと感心できないことですが
感心せざるを得ないもんです。
必死こいて
大輪寺の駐車場まで運び込み
その辺にあった
石でガチャガチャのカバーを
叩き割ろうとした瞬間。
石を持った某の手を
誰かが掴みました。
大輪寺の住職でした。
某とマサルは
大輪寺の境内に連れて行かれ
こっぴどく叱られました。
その後。
懲りない某は
中曽根商店のガチャガチャにも手を出し
その際は
うちの祖母も一緒に謝りに行ったことを
鮮明に覚えています。
その際も
大輪寺の住職にこっぴどく叱られました。
その住職に
5歳か6歳の某が毎回言われていたことがあります。
「見られていないと思うことこそ
沢山の人に見られている
見てほしいと思うことほど
誰も見ていてはくれない
だから人間は
正直に生きなければならないのだ」
まあ。
何度も同じことを
言われたので
40年経った今でも一言一句
思い出せたりします。
大輪寺では
堀池にいる鯉を釣ったり
墓地池にいる亀を盗もうとしたり
罰当たりなことばかりしたので
こんな人生になったんだと
思ったりしていますが
それでも
祖母や叔父が眠っている
お墓は
「小松姫」のお墓の真裏にあったりするので
何か
使命があってやったのではないかと
今更言い訳したい気持ちで一杯です。
20歳の頃。
下北沢の
「本田劇場」で
「永六輔」さんと対談させて頂いた事があります。
東京ニュースペーパーという
劇団の小屋付きを一ヶ月バイトでした事があり
それがご縁で
公演に呼んで頂いているうちに
なんやかんやで
「おもろい大学生がいる」ってことで
ステージに上がることになったがです。
その話は
次の更新でお話しするとして
その時に
某が「長野の上田市出身です。」
と言った瞬間に
永さんが鬼の形相になって
「私は上田が大嫌いです」と言ったがです。
(浅田飴の話はしなかったがです。)
なんでも
永さんは戦時中上田に疎開していて
疎開先は「大輪寺」だったそうで。
サスペンダーに
半ズボンの都会っ子だった永さんを
上田人が相当いじめたらしく…
何を言っても
『君は上田の人だから」
と一蹴されたのをよく覚えています。
とにかくですよ。
親以外の大人にメッサ叱られた
経験だけは
誰にも負けないかもしれないという
どうでもいい話でした。
時効の話をしましたが
某は
年齢性別関係なく
犯罪は肯定してませんので悪しからず。