たまにですけど
おしゃべりするのが
苦痛になることもある
不肖ナガオカです
★★★
始まりと終わり
18年もの間
様々な親子の相談に乗っていると
いくつかの「困難」を誘引するパターンが分かってくる。
これは
長いこと専門的な仕事を続けなければ
手に入らないスキルではない。
非常にシンプルで
故に「家族」というコミュニティーでは
気づくことが困難であると言っていい。
当然。
子どもたちにとって
初めて会うどこぞの馬の骨かもわからん
大人と
円滑にコミュニケーションが取れるなんてことは
あり得ないし
もしそれが可能だとすると
違う意味で少し心配になったりする。
大体はこちらの質問に対して
子どもたちは最初沈黙し
暫くすると「母親の顔」を覗き込む。
診察室の前まで
いかに険悪な関係であってもだ。
子どもは親に何かを頼るものだから。
それすらできない子どもは本当に辛い。
そこもアセスメントで大事にしているポイントである。
こちらもプロなので
どんな沈黙にも対抗手段を持っているからして
そのうち子どもたちは少ない言葉をこぼし始める。
途端に
母親は子どもの発言を切り裂いて
己の意見を述べ始める。
これがパターン1。
当然これが始まると
子どもの発言中に構わず母親が発言し始める。
最初は助けを求めた子どもも
次第に顔を曇らせる。
その親子に染み付いてしまった
「コミュニケーション文化」を
垣間見る瞬間である。
自分の思いを言語化し
それを音声として相手に伝える際
ピリオドを打つ前に
相手に遮られる時。
人はとてつもないストレス感じる。
これが日常的に繰り返されると
人は始めることすら諦めるようになる。
ある建物を建て始めたが
途中で誰かに建築を乗っ取られるようなもので
そもそもやろうとしなくなるのは自然だ。
家族にとって
必要最小限の生活言語であっても
生活に支障はないだろうが
子どもたちの社会性は脆弱になることは想像に苦しくない。
始まりと終わり。
コミュニケーションにもこれは必要不可欠であることを
知らなければならない。
自分で検証してみればわかる。
誰かの会話中に
隆起してくる「これを話したい」が
どれほどのものか。
とにかく
子どもが話し始めたら
句点(ピリオド)が打たれるまで
とにかく傾聴して欲しい。
それだけで
色々なものが「回り」始めるはずだから。
子育て真っ最中の
親の皆さんには
特に試してもらいたい。
なにせ
子どもとのコミュニケーションの回数も
人生においては「限りあるもの」であるからだ。