みなさん、こんにちは。
教頭の平形です。
去る7月16日(日)上田市交流文化芸術センター「サントミューゼ」にて、令和4年度侍学園卒業式が挙行されました。
いや~、以前は、侍学園のホール(空調がほぼ効かない)で行っており、死人が出るかと思うほどの暑さだったので、昨年は文化会館、今年はサントミューゼ小ホールでの開催です。
涼しいし、綺麗だし、駐車場の心配もない、座席の準備をする必要もない。
スロープもあるし、客席後方には親子鑑賞席(お子さんが騒いでも声が漏れない部屋)まで!!
今年の卒業生は2名。
2人とも休学し、週5日しっかり働くことを継続してきました。
この事実だけで言えば、とてもシンプルな話ですが、ここに至るまでの彼らとご家族の苦難の道は語りつくせないものあります。
そんな彼らの伴走者である我々は、時に前を、時に隣で、時には後ろにいながら、共に歩んできました。
そんな我々の視点からとらえた彼らの年月を思い返し、理事長は泣きながら式辞を読み上げます。
『君は一人で生きてきたんじゃない。君の人生には様々な人の人生が絡み合っている。それも君を幸せにするための、とても穏やかで繊細で、温かい線の絡みだ。もう一人の君だったら、その線さえ簡単に切ってしまったかもしれないが、覚悟を決めた君は、その線を上手に手繰り寄せていった。』
『君は君自身に自信を持ち始めてから、君は働き始め、寮生活に飛び込み、自らの資金で1人暮らしを始めた。そして「働くに疑問を抱かない」君は、会社から認められ正社員として雇用された。大変なことは大変であって変わることなどない。でも君はその中でも、沢山の希望を抱いている。』
式辞は30分以上あるので、全ては書ききれませんが、生徒である彼らの視点と、我々スタッフの視点が交錯し、侍学園で過ごした時間をひとつの物語に昇華させる最後の時間だと私は思っています。
御来賓の皆様からも、ご祝辞をいただきました。
長野県県民文化部こども若者局次世代サポート課 課長 塩原様。
デッサンの授業を長年担当してくださっている清水先生。
生徒へのエールを中島みゆきの「ファイト」のアカペラで伝えてくださいました。
ヒューマンライツ株式会社、そして、沖縄で毎年開催されるチャリティーライブ「サムライブ」に出演されている69s(ロックス)のボーカルでもある小松秀人さん。
在校生代表(次期生徒会長)からの送辞。
学園祭の時には、緊張し過ぎて言葉が出なかった彼が、しっかりと卒業生への思いを伝え、自分たちの今を話してくれました。
『我々在校生は今、様々な苦難に立ち向かっていて、途方に暮れることもありますが、お二人から学んだ数多くのことを糧に、進んでいきます。これからの人生を考えると、たくさんの課題があり、ひるみそうになりますが、登山のように一歩一歩歩いていけば、必ず頂上にたどり着くんだということを信じ、この先の学園生活を過ごしていきたいと思います。』
そして、卒業生の答辞です。
『当時の僕は何かに対してする意欲もなく、自分の夢でさえも曖昧で、希望も持てず、ただ暗闇の中に一人でいる状態でした。家の外に出ても、他の人に見られることを気にし、いつも自分の視線は自分の足元だけしか見られませんでした。』
『今の僕は誇りを持って仕事を続け、どんなことに対しても自信を持って行動し、感情もコントロールできるようになり、悩みや辛い時でも頼れる人に自然に話すことができ、僕の視線も足元から希望に向かって前を見ています。』
『中学時代は荒れたクラスに入れられ、いじめに遭い、まともな中学生活を卒業までできなくなったうえ、人間に対する恐怖が大きな後遺症となってしまい、高校は何とか入れたものの、そこから先はほぼ感情がない閉鎖的で無口な人間となってしまいました。』
『言葉を出さない親なので不満も多いのですが、これまでの人生を思い出すと、私以外の事でも沢山苦労してきた親だったことに気付きました。今はそれも反省しつつ、両親のありがたみを感じています。』
『私の人生の中でも侍学園に出会えたのは奇跡であり、とても良い場所に巡り合えたんじゃないかなと思っています。』
保護者謝辞では、お子さんへの愛情と学園への思いをお話いただきました。
『世の中には自分が何者なのか、どう生きて行けばいいのか分からずに存在すら否定してしまう人たちがいます。サムガクが必要です。侍学園がいつまでも続きますよう願っています。』
この言葉がどれだけ我々を奮い立たせてくれたことか。
最後は、生徒・スタッフ全員で登壇し、『旅立ちの日に』の合唱です。
伴奏は理事の渡辺さんにお願いしました。
在校生が少なくなり、声量をカバーするのが目的でしたが、生徒たちだけが見ていた景色を一緒に見ることができたのは、「共育」そのものなのかもしれません。
卒業生の二人に、心からのおめでとうを。
我々の仕事は車のナビのようだと常々思っています。
ナビは無視されることもあります。分岐の度に案内しても、今までの慣れや、空いているという思い込みから、無視を続けられてしまうわけです。 それでもナビは、その都度新しいルートを考えて、案内し続けます。
やがて目的地周辺になった時、音声案内は終わります。 ここまで来れば、あとは、「自分の力で大丈夫だよ」と目的地に小さな旗を立て、ナビの仕事は終わります。
そんな仕事なんじゃないかと思うのです。
良きナビになれるよう、また364日頑張ります。
この後はおまけのコーナー。
謝恩会の写真をご覧ください。
いい顔ばっかり。