コンテンツへスキップ

18年前の春に

学校が大好きだった某にとって
4月は
とんでもない
ビックマンスリーだった

不肖ナガオカです

★★★

日本の皆さん。

新年度おめでとうございます。

我々は
昨年に「9月新学期制度」に移行しましたんで
なんとなく
今までとは違う4月を迎えております。

なんも変わらないですよ。

困ってないし

それでも
昨年の卒業生には
ちゃんと卒業式はやってあげられたし

入学式もしっかりできました。

1年ぶりに
入学式をやってもらっている
某の愚息なんかを見ると
本当に可哀想だなって思います。

これから
コロナによって
今までの生活は様変わりするんでしょうけど
だったら
日本人の習慣だって
変えればよかったのにって
本当に思います。

今の「常識」なんて
高々数十年のものなのに

ずっと続けなければならないって
思い込んでしまうんでしょうね。

「学校」だってそうです。

100年前の学校と
今の学校は全く違うと言っても過言じゃありません。

なのに
いまだに「不登校」なんて言葉が
使われる。

普通教育を受けさせる
義務を大人は負っていますが
その普通教育ってものの概念も
具体化されているわけでは無いわけです。

子どもが
心身ともに病んでしまい
ボロボロになってもなお

大人は
「学校に行ってほしい」
「学校に行くのが当たり前だ」
って思ってます。

それが立派な大人になる条件だって。

大半はそうかもしれません。

でも
そうじゃないパーソナルだって
当たり前にいる。

その人々を「特異」だと思う思想こそが
差別を生む温床だと思うのです。

大人を見てみてくださいよ。

みんな立派ですか?

聖人君子のような生き方をしている人が
どれだけいるんですかね?

子どもは

「生き方」や「生きる場所」を選べない。

選べないものに対して
強制的にここにいなければならないなんて
ひどい話だと思いますけど。

選んでいる子には精一杯
そこで用意されたサービスを提供すべきです。
そうではない子どもには
新しい場所を提供するべきです。

子どもは
国民全員で育てる義務がありますから。

でも
選ばなかった子どもたちを
誹謗するのは

ナンセンスだし時代錯誤も甚だしい。

某は
そういうロクでもない世の中に
自分の未来を賭けたくない。

この学園を「選んだ」生徒たちは
某の希望でしかないのは

そういうロクでもない世の中であっても

「それでもワタシは生きる」と覚悟した
人間たちだからです。

コロコロが
また我々を試しています。

コロコロだって
苗床にする人間が全ていなくなってしまえば
自分たちが生き残れないことを知っています。

だから
何か啓示的な奴らなんだと
思っています。

生き残るのは

強いものではなく
賢いものでもなく

変われるものなのだ


教えてくれてるんだと
なかなか
性根が変わらない某は思うのです。

18年前。

そんな
想いを込めて

この学園を作りました。

そんでもって

生き残っている。

変わろうとしたからです。

がんばろうね。

意味もわからず
ランドセルを背負って
荒波に立ち向かう子どもたち。

がんばろうね。

先は見えないのに
ひたすら続く道を歩めねばならない
大人の皆様。

がんばろうね。

腐ったら
悲しんだら
憎んだら
怒ったら

我々はコロコロに勝てないのだから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です