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Don’t think. feel #8

自然体。

難しい言葉です。今となっては。

不肖ナガオカです

★★★

Don’t think. feel #8

なぜ
Don’t think. feelを
ブログのタイトルにし始めたかと言うと

単にかの「ブルース・リー」先生の
名言だからだけではない。

(いや。多少はあるがそれも繋がっている)

人がなぜここまで「心」を「病む」ようになったのか。

明らかに
50年前とその質や要支援者数は
信じられなくぐらい変わってきている。

さまざまな「心の病」は
勝手にカテゴライズされ始めているが

ワタクシはそんなに複雑なものではないという
認識が強い。

心を病んでしまった
人々の支援は
人々の好転は
人々の改善は
非常に困難であるが

「心の病」に至る「原因」については
非常にシンプルだと思っている。

複雑だとかいう
専門家がいるが
複雑なはずがないのだ。

複雑にしているのは
ここ数十年で人間たちが作り出した
「意識」でしかない。

「心」はあくまで「脳」という臓器が
外的刺激に対する反射をすることで起こる
さまざまな現象の一部であるわけで。

「魂」とか「精魂」とかは
肯定も否定もしないが
それとは別に考えると非常にシンプルでしかない。

「ああなるから、こうなる」
「こうなれば、ああなる」

まさに「自然」とはそいうものだ。

我々現代人は
「無秩序」なものを「自然」と呼び
「秩序的」なものを「社会」と呼んでいる。

そもそも
我々の体は「自然」として出来ている。
どこの臓器・部位をとってみても
決して「同じ」ものは存在しないし
「秩序」は存在していない。

どうやって心臓がデカくなったのか?
どうやって髪の毛は生えてくるのか?
どうやって大腿骨は太くなったのか?

誰も説明なんてできないはず。
しかし
なんの疑いもなく
それを受け入れている。

それは「自然」なことなんで受け入れることしかできないことを
「意識」ではなく「感覚」で分かっているだけである。

ところが
人間は一生懸命に「自然」を排除し「社会化」してきた。
そのさきに
人類が求める「幸せ」があると
これまた「意識」を使って「定義」しているからである。

しかし
我々の脳という臓器も「自然」である。
そこに無理やり「秩序」を盛り込む。

学校でも
職場でも
地域でも

みんな「同じ」にしたがるわけだ。

みんな同じが「秩序」であるから。

まあ
細かいことを言っていくと
何時間もこれに時間を割かねばならないので
今回はこの辺にしておくが

「自然体」が「秩序化されていけば」
当然
脳はエラーを出しながら
なんとか「自然体」を維持しようとするのは
当たり前である。

よって
現代社会において
「心の病」を治すことは不可能であるということ。

人類が今の「社会化」を捨てることなどできないから。

だから
一人一人が自分の人生の幸福を求める時。

それを理解した上で
「秩序」を受け入れ「無秩序」に触れる機会を捨てないこと。

たったそれだけの事で
「心の病」なんて言葉は使わなくて済むと思っている。

自然治癒。

そう
我々は自然に触れていれば自然に回復する能力を持っている。

皆同じではないので。

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